母による補佐と軍縮政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:04 UTC 版)
「アレクサンデル・セウェルス」の記事における「母による補佐と軍縮政策」の解説
アレクサンデル帝は若く穏やかな性格の持ち主であったが、同時に母や祖母の言いなりでもあった。アウィタは姉ソエミアスが息子から実権を奪っていたのと同じように、アレクサンデルを通じて取り巻き達と実権を掌握した。その中には法務官ゲナエウス・ドミティウス・アンニウス・ウルピアヌスなどが含まれた。アウィタはアレクサンデル帝の成長に従って実権掌握の程度を変更する態度を見せたが、権力への執念は変わらなかった。アレクサンデルの后妃となったサッルスティア・オルビアナとその一族が新たな外戚として権力をバッシアヌス家から奪うと、激しい怒りを見せて宮殿から彼らを追放しようとした。 また、セウェルス朝の権力の源泉であった軍から距離を置くことで膨大化した軍事費の抑制を図り、アレクサンデルも軍とは距離を置いた。しかし結果として帝国の各地で反乱が相次ぎ、更に帝都ではゲナエウス・ドミティウス・アンニウス・ウルピアヌスの振る舞いが近衛隊の不興を買った。近衛隊がウルピアヌスへの反乱を起こすと民衆や各地の軍もこれに加わり、帝国は騒乱状態に陥った。幸運にもアレクサンデル自身に刃は向けられず、ウルピアヌスが殺害されるに留まったが、動乱の中でカッシウス・ディオなどアレクサンデル帝に近い要人が宮殿から追放され、各地の属州でもアレクサンデル派の総督への忠誠拒否が相次ぎ、軍との対立が顕著となった。 他に治世で特筆すべき点には、アレクサンドリナ水道の建設が挙げられる。
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