死去、葬儀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:14 UTC 版)
2009年5月1日午後に容態が急変し、2日午前0時51分に癌性リンパ管症のため死去した。58歳没。家族の他、容態急変の報を聞いて病院に駆けつけた盟友の仲井戸麗市らが清志郎の最期を看取った。清志郎の愛弟子の三宅伸治も容態が急変した1日に約20分間見舞ったことを8日付の自身のブログに記している。アースマラソンをしていた間寛平はカンザスでこの訃報を受け、ショックのあまりに泣き崩れた[要出典]。4日、関係者のみの密葬が無宗教の献花形式で行われた。9日、青山葬儀所でファンなどを対象にしたロック葬『忌野清志郎 AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW』が行われ、弔問数は4万3000人に及んだ。これは、戦後の日本の葬儀においてはhideに次ぐ2番目の参列者の多さ[要出典]であり(そのhideとは命日が同じである)、竹中直人、甲本ヒロト、大竹しのぶらが弔辞を読んだ。戒名は芸名そのままの「忌野清志郎」で、遺影は遺族の意向で「栗原清志」として笑顔で写ったプライベートパーティのものが使われた。墓は高尾霊園高乗寺にあり、一周忌を前にした2010年4月に建立された。
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