武田家臣依田氏との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/26 09:06 UTC 版)
遠州二俣城は今川氏家臣の遠江松井氏が永正年間より代々城主を勤めたが、徳川家康に攻められ、今川軍の守将・鵜殿三郎と松井衆の松井和泉守某・松井八郎三郎某・三和藤兵衛某等は永禄11年(1568年)12月6日徳川氏に帰属したが、その一方で城主・松井宗恒を初めとする松井衆の一部には甲斐武田氏に属するものもあった。元亀3年(1572年)の武田氏の遠江侵攻で二俣城は武田信玄が手中に収め、天正元年(1573年)からは武田方の依田信守・信蕃父子が守将となった。松井宗直の先室はこの依田信守女であることから、宗直もこの時は武田氏に属していたと推定され、徳川方への復帰は丸子河原合戦の戦功以後と考えられる。
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