武田二十四将と甲陽軍鑑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 16:41 UTC 版)
「武田信玄の家臣団」の記事における「武田二十四将と甲陽軍鑑」の解説
詳細は「武田二十四将」を参照 江戸時代には『甲陽軍鑑』が流行し、信玄時代の武田家の武将達の中で特に評価の高い24名の武将を指して武田二十四将(武田二十四神将)と言われるようになり、信玄の名は知られることになった。原典は江戸時代に作られた浮世絵や浄瑠璃で、正式に武田家中で二十四将という区分や呼称は存在しない。選ばれた武将達も時代は離れており、全員が同時期に信玄に仕えたことはない。庶民の評価で決まったものらしく、資料によって顔ぶれが異なる。なお、この種の群像では主君を入れないのが一般的だが、武田二十四将には家臣が23名しか入らず、信玄自身が二十四将の一人に数えられていることが特徴である。他に武田四天王(武田四名臣とも)、武田の五名臣も有名である。
※この「武田二十四将と甲陽軍鑑」の解説は、「武田信玄の家臣団」の解説の一部です。
「武田二十四将と甲陽軍鑑」を含む「武田信玄の家臣団」の記事については、「武田信玄の家臣団」の概要を参照ください。
- 武田二十四将と甲陽軍鑑のページへのリンク