正閏論批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 13:58 UTC 版)
中国の多くの歴史書では、例えば三国時代において呉や蜀の君主の帝号を取り払うなど、正統を継いだ王朝を一つに定めている。一方、劉知幾は統一王朝である唐朝の史官であり、どの王朝を正統とみなすかという正閏論に拘泥する必要はそれほどなかった。よって、劉知幾は存在した政権をありのままに記述することを重視し、三国や南北朝の王朝のうちいずれかを正統として扱うことはない。 これと同時に、劉知幾は王朝の興亡と天命を結びつける天人相関の考え方を批判した。例えば、かつて司馬遷は、信陵君を追放したために魏は秦に滅ぼされたという意見に対し、魏は天命を得なかったのだから賢人の補佐を得たところで結局滅ぼされただろうと述べている。これに対して劉知幾は、国の興亡は天命ではなく人事にかかるものであり、そしてその人事を記録するのが歴史叙述であると考え、司馬遷説を批判した。
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