機物神社とは? わかりやすく解説

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機物神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/06 19:13 UTC 版)

機物神社


拝殿

所在地 大阪府交野市倉治1-1-7
位置 北緯34度47分40.3秒 東経135度41分40.9秒 / 北緯34.794528度 東経135.694694度 / 34.794528; 135.694694座標: 北緯34度47分40.3秒 東経135度41分40.9秒 / 北緯34.794528度 東経135.694694度 / 34.794528; 135.694694
主祭神 天棚機比売大神
栲機千々比売神
地代主神
八重事代主神
社格 村社
本殿の様式 檜皮葺一間社流造
例祭 7月7日 七夕祭
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機物神社(はたものじんじゃ)は、大阪府交野市倉治にある神社七夕に関する伝説で知られる神社である。祭神の天棚機比売大神は織姫にあたる。

由緒

この神社の創建年代等については不詳であるが、卜部兼倶奉幣した記録があることから室町時代にはすでに格式ある神社として認識されていたと考えられる。[要出典]

一説によれば、大陸からの帰化人である秦氏がこの地の近辺にいたため、古代には周囲に「秦」の付く地名が多く、神社はこの「秦者」の人たちが祀る社ということで「ハタモノの社」が本来の呼び名であったが、 後に七夕伝説と結び付けられ、「秦」が機織りの「機」に換えられたとする[1]

史料上の初見は延宝7年(1679年)の『河内鑑名所記』で、「はたほこ大明神」と記されている[2]。「はたほこ」は儀仗として用いる小旗を付けた、または矛を付けた旗竿のことを指す[2]享保20年(1735年)の『五畿内志』には「機物神祠」とあり、実際には1月10日・2月10日・9月10日に行われていた祭礼について、7月7日に行うとされている[2][3]。機物神社と七夕については、『椿井文書』の影響などで近世中期以降に結び付けられるようになったと考えられる[2][4]

境内

  • 本殿
  • 拝殿
  • 前拝殿

境内社

  • 東宮
  • 西宮


交通アクセス

脚注

  1. ^ おりひめ伝説 機物神社”. 機物神社. 2025年1月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 馬部隆弘「茄子作の村落秩序と偽文書」『由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に―』勉誠出版、2019年、253–254頁。ISBN 978-4-585-22231-6 
  3. ^ 正宗敦夫 編『五畿内志 下巻』日本古典全集刊行会、1930年、420頁。全国書誌番号: 47026162https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179444/33 
  4. ^ 原田実『偽書が揺るがせた日本史』(株)山川出版社、2020年3月25日、62頁。 

参考文献

  • 機物神社由緒略記(社務所にて頒布のもの)

外部リンク




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