橘海雄とは? わかりやすく解説

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橘海雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/04 01:47 UTC 版)

橘 海雄(たちばな の あまお、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族弾正大弼橘長谷麻呂の子。官位従四位下[1]右京大夫

経歴

承和8年(841年従五位下民部少輔次いで右衛門権佐に叙任。翌承和9年(842年)左京采女町の西北4分の1を賜与される[2]。のち、刑部少輔兵部少輔弾正少弼を経て、承和13年(846年備前守として地方官に転じる。

翌承和14年(847年)には早くも左少弁に任ぜられて京官に復帰すると、仁明朝末から文徳朝にかけて弁官を務め、仁寿3年(853年)には蔵人頭兼左中弁に至る一方で、嘉祥3年(850年)従五位上、仁寿4年(854年正五位下と昇叙されている。またこの間、嘉祥2年(849年)には渤海使の帰国にあたり勅書太政官牒を伝達するために、参議小野篁らとともに鴻臚館へ派遣されている[3]

しかし、斉衡3年(856年)病気により蔵人頭を辞任し、翌斉衡4年(857年従四位下・越前守に叙任され再び地方官に転じる。清和朝に入り貞観元年(859年右京大夫として再び京官を務めている。

官歴

注記のないものは『六国史』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:橘長谷麻呂
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:橘茂枝

脚注

  1. ^ 『尊卑分脈』では正四位下とする。
  2. ^ 『続日本後紀』承和9年6月4日条
  3. ^ 『続日本後紀』嘉祥2年5月2日条
  4. ^ a b 『蔵人補任』

参考文献




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