横山大観死去から妻死去まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 05:10 UTC 版)
「堅山南風」の記事における「横山大観死去から妻死去まで」の解説
1958年、長年師事した横山大観が死去。同年4月、伊東深水と共に日本芸術院会員に推挙。また5月には日本美術院が財団法人となり、南風は当初監事に就任、のち理事となった。 1962年2月23日に発刊されたアメリカ合衆国のニュース誌タイムの表紙に、同誌依嘱により制作した南風の「松下幸之助像」が使用された。1968年10月には文化功労者に選出されている。 1969年、同郷の俳人中村汀女をモデルとした「新涼の客」が完成、第54回院展出品。同年熊本市名誉市民。1971年、妻死去。翌1972年、静岡県韮山町(現伊豆の国市)に別荘を購入したが、手狭であったため田方郡に別荘を新築し以後こちらによく滞在するようになった。
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