極地法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/23 06:31 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年5月) |
極地法(きょくちほう)とは、困難な山に対して用いられる登山法のひとつである。包囲法(siege style)とも呼ばれる。
最初に安全な地点にベースキャンプを設け、そこから比較的連絡のとりやすい距離に次々と前進キャンプを設営する。隊員はキャンプ地間を行き来して、必要物資を運搬する。また必要に応じて移動困難箇所のルート工作を事前に行う。それぞれのキャンプ地の隊員の援助を借りつつ、最終的に少数の隊員が頂上を目指すのが、この登山法である。
8000メートル峰を中心とした高所登山において成功率と安全性を高める為に生み出された方法であり、1953年のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイによるエベレスト初登頂時にもこの方法が用いられた。
近年ではエベレストなどの人気の山で、ルート工作や荷上げを全てガイドやシェルパが行う、ツアー形式の公募隊が多数組まれている。これも極地法の一種であるが、登山の困難な部分をガイド任せにしているため、「商業公募隊」や「ツアー登山」として区別されることもある[1]。
極地法は困難なルートを切り開いたり、登山の安全性を高めるために必要な手法であるが、登頂に長い期間と多くの人員そして多額の費用が必要であること、少数の登山者のために大量の人員を投入すること、山に膨大なゴミを残すことなどに対して批判も存在する。
登攀技術や装備が進歩し世界中の高峰登頂が達成され尽くした現代、記録達成を目指す先鋭的な登山家の間では、アルパインスタイルによる未踏の困難なルートを切り開くことに主眼が移っている。
名称由来
極地探検家が北極や南極で用いる手法という意味である。 初期のヒマラヤ遠征で使われていた「ポーラー・メソッド」という言葉が「極地法」と訳されて紹介された[2]。 現在、ポーラー・メソッド(polar method)という言葉は海外ではすでに使われておらず、代わりにエクスペディション・スタイル(Expedition style)などと呼ばれている。
出典
- ^ エベレスト登山、様変わり ツアー普及、ネットも充実 朝日新聞、2013年5月25日
- ^ 伊藤愿(イトウスナオ)(1908-1956) 甲南大学山岳部 初めて極地法という言葉が使われたのは1932年(昭和7年)のアサヒスポーツ誌、伊藤愿による記事。[リンク切れ]
関連項目
極地法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:47 UTC 版)
多数の人々の支援を受けて、ベースキャンプから順に前進キャンプを設営しつつ物資や人員を進めてゆき、各キャンプの隊員の援助のもとに、少数の隊員が頂上に到達するという登山法。高山や、登頂までのアプローチが長い山で用いられる。登山では1922年にイギリスのエベレスト遠征隊が初めて用いた。スポーツとしての登山では、最早過去のものだが、気象状況が極めて困難な場所でのトライにわずかに使用されたり、高所へのガイド登山で使用される方法である。
※この「極地法」の解説は、「登山」の解説の一部です。
「極地法」を含む「登山」の記事については、「登山」の概要を参照ください。
- 極地法のページへのリンク