植松雅言とは? わかりやすく解説

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植松雅言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/15 02:09 UTC 版)

 
植松 雅言
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政9年12月28日1827年1月25日
死没 明治9年(1876年6月30日[1]
主君 仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族 東園家植松家
父母 父:東園基貞、母:芝山国子(芝山国豊の娘)
養父:植松雅恭
兄弟 東園基敬雅言
藤井富子(藤井行学の二女)
雅平(植松雅道の実父)
雅雄
養子:雅徳
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植松 雅言(うえまつ まさこと)は、江戸時代後期の公家明治時代華族参議・東園基貞の二男[注 1]

経歴

山城国京都で生まれる。修理権大夫・植松雅恭の養子となる[1][3]天保11年(1840年)昇殿を許された[3]安政5年(1858年廷臣八十八卿列参事件に加わり、元治元年7月19日1864年8月20日)の禁門の変では長州藩士のため画策した[3]慶応2年8月1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控となる[3]

慶応3年12月9日1868年1月3日)王政復古を迎え、慶応4年2月20日1868年3月13日)参与に任じられた[4]。その後、神祇事務局権判事、同判事加勢、神祇官判事、氷川社遷宮御用掛、神祇権大祐などを歴任し、明治4年1月18日1871年3月8日)免本官となった[3][4]

系譜

  • 父:東園基貞
  • 母:東園国子 - 芝山国豊の娘[3]
  • 妻:植松富子 - 藤井行学の二女[1]
  • 側室:家女房
    • 長男:植松雅平(子爵)[1]
    • 男子:植松雅雄
  • 養子
    • 男子:植松雅徳 - 植松雅恭の子

脚注

注釈

  1. ^ または三男[2]

出典

  1. ^ a b c d 霞会館 1996, p. 237–238.
  2. ^ 安岡昭男編 2010, p. 205.
  3. ^ a b c d e f 日本歴史学会編 1981, p. 141–142.
  4. ^ a b 修史局編 1928, p. 372–373.

参考文献

  • 修史局編『百官履歴』 上巻、日本史籍協会、1928年。 
  • 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。 
  • 霞会館平成新修旧華族家系大成』 上巻、吉川弘文館、1996年。 
  • 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』 上巻、新人物往来社、2010年。 


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