柏原市立国分小学校とは? わかりやすく解説

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柏原市立国分小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/09 08:01 UTC 版)

柏原市立国分小学校

北緯34度33分57秒 東経135度38分23秒 / 北緯34.565861度 東経135.639639度 / 34.565861; 135.639639座標: 北緯34度33分57秒 東経135度38分23秒 / 北緯34.565861度 東経135.639639度 / 34.565861; 135.639639
過去の名称 堺県第二十五番小学校
安宿部郡国分小学校
安宿部郡国分尋常高等小学校
南河内郡国分尋常高等小学校
南河内郡国分尋常小学校
南河内郡国分国民学校
国分町立小学校
柏原町立国分小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 柏原市
設立年月日 1873年3月22日
創立者 南河内郡国分村ほか
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B127210007976
所在地 582-0021
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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柏原市立国分小学校(かしわらしりつ こくぶしょうがっこう)は、大阪府柏原市にある公立小学校

沿革

明治時代初期の学制発布に伴い、安宿部郡国分村に1873年3月22日堺県第二十五番小学校として開校した。開校当時の通学区域は、安宿部郡国分村・片山村(町村制実施で玉手村の一部)・高井田村(町村制実施で堅下村の一部)だった。

その後学校制度の変遷を経て、国分尋常高等小学校となった。1887年には安宿部郡玉手村および円明村(町村制実施で玉手村に合併)を通学区域に編入し、さらに町村制の実施により安宿部郡(1896年南河内郡)国分村・玉手村の2村を校区とした。国分村・玉手村は1931年6月1日に合併し、南河内郡国分村(1941年4月1日町制施行で国分町)となっている。

1941年4月1日には国民学校令の実施により、南河内郡国分国民学校となった。さらに1947年学制改革では、国分町立小学校に改編している。

南河内郡国分町は1956年9月30日、合併によって中河内郡柏原町となった。これに伴い同日付で柏原町立国分小学校に改称した。さらに柏原町は1958年10月1日に市制を施行して柏原市となり、同日付で柏原市立国分小学校に改称した。

地域の宅地化により1970年代以降、玉手(1973年)・旭ヶ丘(1981年)・国分東(2000年)の3小学校が、国分小学校より分離開校している。

年表

通学区域

  • 柏原市 国分本町1丁目-7丁目、国分市場1丁目の一部、国分市場2丁目の一部、田辺1丁目-2丁目、国分東条町の一部、大字高井田のうち通称高井田東住宅地区。
卒業生は柏原市立国分中学校に進学する。

交通

関連項目

脚注

  1. ^ 特集ー国分東・国分小学校統合ー20年の歴史と共に踏み出す新しい一歩」(PDF)『広報かしわら』第804号、柏原市役所、2020年2月25日、2-5頁、2017年8月21日閲覧 

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