林賢徳とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 林賢徳の意味・解説 

林賢徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/29 16:36 UTC 版)

林 賢徳(はやし けんとく、1838年9月24日天保9年8月6日[1][注 1]) - 1914年大正3年)6月13日[1])は、幕末加賀藩士明治時代の鉄道実業家は活堂[2]位階および勲等従六位勲六等

経歴

加賀金沢藩士[1]の林市之丞の長男として生まれた[2]。維新の際、海軍を志し江戸横浜に遊学する[2]

民政局出仕を経て、海軍士官兵学校教官、海軍秘書官などを歴任し[2]1875年(明治8年)東京市麻布区士族のための授産施設「農学舎」を設置する[1]

1876年(明治9年)陸運交通の不便および私設鉄道敷設の急務を提唱し1881年(明治14年)日本鉄道会社を興した[2]東北本線高崎線などを開通させ、1906年(明治39年)国有化されるまで重役を務めた[1]。ほか、七尾鉄道取締役、岩城鉄道監査役などを歴任した。墓所は多磨霊園にある[3]

栄典

位階

脚注

注釈

  1. ^ 『人事興信録 初版』133頁では9月8日生。

出典

  1. ^ a b c d e 上田ほか 2001, 1525頁.
  2. ^ a b c d e 人事興信所 1903, 133頁.
  3. ^ 林 賢徳”. www6.plala.or.jp. 2024年12月29日閲覧。
  4. ^ 『官報』第561号「叙任及辞令」大正3年6月15日。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  林賢徳のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「林賢徳」の関連用語

林賢徳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



林賢徳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの林賢徳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS