林富沢
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林 富沢(イム・ブテク、朝鮮語: 임부택、1919年9月24日 - 2001年1月13日)は大韓民国の軍人。朝鮮戦争開戦時は第7連隊長。朝鮮戦争中は後方勤務が3ヶ月だけであとは戦闘に終始した数少ない将軍であった。そのため授与された武功勲章の数は韓国軍随一であった[1]。
- ^ 第6師団隷下。春川の警備を担当した。
- ^ 当時、第1師団は漢江渡河時に大打撃を受け、1個連隊強の戦力しかなかった。そのため白師団長は林連隊長に陣地占領まで掩護を頼んだ[6]。
- ^ 第1師団の陣地占領が完了した後、第7連隊は第6師団に撤収する予定であった[7]。
- ^ 1951年4月時、ソウル北側から洪川を経て東海岸の大浦里に連なる戦線。当時、その線にコードネームが無かったので、ある幕僚が提案すると、第8軍司令官のヴァンフリートは「そんなことはどうでもいい。ノーネーム(無名)で十分だ」と答えたことからノー・ネーム・ラインと呼ばれるようになった。
- ^ 戦争は終わると思われていたのと多くの軍人がアメリカ留学を控えていたので林富澤に限らず、韓国第2軍団隷下の師団長は後方に下がり、新任の師団長が指揮していた。
- ^ 第1師団、第9師団、第26師団、第27師団を指揮する第1軍機動軍団長。
- ^ a b 佐々木春隆. 朝鮮戦争/韓国編 上巻 (再版 ed.). pp. p. 477.
- ^ “"지원병출신 처음 일반병서 하사관·장교로까지 확대6·25때 용맹떨쳐…희생도 커-송요찬·문형태장군등 20여명 장성진급” (朝鮮語). 中央日報. (1982年11月26日) 2016年11月30日閲覧。
- ^ a b 정안기 2018, p. 176.
- ^ 佐々木春隆. 朝鮮戦争/韓国編 上巻 (再版 ed.). pp. p. 119.
- ^ 佐々木春隆. 朝鮮戦争/韓国編 下巻 (再版 ed.). pp. p. 80.
- ^ 白 2013, p. 269.
- ^ a b 白 2013, p. 270.
- ^ 佐々木春隆. 朝鮮戦争/韓国編 下巻 (再版 ed.). pp. p. 133.
- ^ “Lim Boo Taek”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。
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