松本光平 (サッカー選手)
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名前 | ||||||
カタカナ | マツモト コウヘイ | |||||
ラテン文字 | MATSUMOTO Kohei | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1989年5月3日(36歳) | |||||
出身地 | 大阪府大阪市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ![]() |
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ポジション | DF(SB) | |||||
背番号 | 35 | |||||
利き足 | 右 | |||||
ユース | ||||||
– | セレッソ大阪 U-15 | |||||
2005-2007 | ガンバ大阪 U-18 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2010 | ![]() |
0 | (0) | |||
2011 | ![]() |
2 | (0) | |||
2012-2013 | ![]() |
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2014 | ![]() |
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2015-2018 | ![]() |
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2017 | → ![]() |
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2018 | ![]() |
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2019 | ![]() |
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2019-2020 | ![]() |
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2019 | → ![]() |
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2023 | ![]() |
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2024 | ![]() |
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2025- | ![]() |
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1. 国内リーグ戦に限る。2025年4月現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
松本 光平(まつもと こうへい、1989年5月3日 - )は、大阪府大阪市出身のプロサッカー選手、フットサル選手、ロービジョンフットサル選手。サッカーのポジションはディフェンダー、フットサルのポジションはフィクソ、ピヴォ。
来歴
ユース時代
中学時代はセレッソ大阪のU-15に在籍し、同期に柿谷曜一朗、一学年下には山口螢、丸橋祐介らがいた。
高校進学時に、ガンバ大阪ユースに移籍を果たす。在籍時は安田理大、倉田秋、宇佐美貴史らと共にプレーした。
海外挑戦
高校卒業後はイングランドのチェルシーFCコミュニティーでプレーした後帰国、徳島ヴォルティス・セカンドとジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズに在籍したが、怪我でほとんどプレーはできなかった[1][2]。
2012-2013シーズン、オーストラリア・Aリーグのブリスベン・ロアーFCに所属。
2014年10月にFIFAクラブワールドカップ出場を目指してニュージーランドへと渡り、ニュージーランド・フットボールチャンピオンシップのオークランド・シティFCと契約する。デビュー戦でゴールを決めるなどの活躍をするものの、本大会の出場メンバーには選ばれず、シーズン終了後に契約満了となりチームを退団。
2015-2016年シーズンより同リーグのホークスベイ・ユナイテッドに移籍。
2017年2月からOFCチャンピオンズリーグ[3]に出場するため、フィジーのレワFCと3ヶ月間の短期契約を結ぶ。
2018-19シーズンよりニュージーランドに戻り、以前所属していたオークランド・シティFCのライバルチームであるワイタケレ・ユナイテッドに移籍[4]。
2019年1月から再びOFCチャンピオンズリーグに出場するため、バヌアツのマランパ・リバイバースと短期契約を結ぶ[5]。
2019年8月ニュージーランド・フットボールチャンピオンシップのハミルトン・ワンダラーズに移籍[6]。
2019年12月にカタールで開催されるFIFAクラブワールドカップ2019出場に向け、2019年11月にニューカレドニアのヤンゲン・スポールにレンタル移籍[7]。この大会唯一の日本人選手として念願のクラブワールドカップ出場を果たす。1回戦で開催国王者のアル・サッド(カタール)と対戦し、延長戦の末1-3で敗れた。
2020年2月からニュージーランドのハミルトン・ワンダラーズに復帰するも、3月18日に新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国内リーグの打ち切りが発表される。ニュージーランド国内も警戒レベルが最も高いレベル4のロックダウン状態になり、チームも数ヶ月間の活動休止になった。
事故
2020年5月18日、ニュージーランドの自宅での筋力トレーニング中にゴムチューブの留め具が破損し、飛んできた金具とゴムチューブで両目を怪我。右目は失明状態となり、左目の視力も大幅に低下[8]。その後、所属事務所がクラウドファンディングのプロジェクトを設立した[9]。ガンバ大阪ユースの先輩である倉田秋らが先頭に立ち支援を呼びかけ、資金が集まる。眼球摘出の可能性もある中で左目の手術を行い、手術は無事に成功し眼球摘出は免れるも視覚障害者となってしまう。
サッカーをプレーするどころか日常生活すらままならない状態にもかかわらず、サッカー選手として再び公式戦のピッチに立つことを目標に過酷なリハビリを開始した[10]。
選手復帰へ
同年12月、古巣であるオークランド・シティFCへの再加入が発表された[11]。
チームは2021年2月にカタールで開催されるFIFAクラブワールドカップ2020に出場予定だったが、大会直前の1月15日にニュージーランド政府が打ち出す新型コロナウイルス感染防止規則により、オークランド・シティFCは大会への出場辞退を発表した[12][13]。
翌年2022年2月にアラブ首長国連邦で開催されるFIFAクラブワールドカップ2021にも出場予定だったが、この大会も同じ理由によりチームは再び出場を断念。オークランド・シティFCは2大会続いての出場辞退となり[14]、松本もFIFAクラブワールドカップへの再出場を果たせなかった[15]。さらにニュージーランド政府による厳格な入国規制により国境が閉鎖されているため、一度もチームには合流できないまま2年連続で契約も白紙となった[16]。
フットサル、ロービジョンフットサルへの挑戦
2022年5月5日にフットサル、Fリーグのデウソン神戸への加入が発表された[17]。フットサル経験はなかったものの、加入からわずか1カ月でキャプテンに抜擢された[18]。リーグ戦全試合に出場し、チーム内得点ランキングでも3位に入る活躍を果たした。
さらに2023年1月には視覚障害者のみで行われるロービジョンフットサルの日本選手権大会にも出場して優勝。大会MVPにも輝き、日本一の栄冠を手にした[19]。ロービジョンフットサル日本代表強化指定選手にも選出される[20]。
サッカー復帰
2023年3月、デウソン神戸を退団。海外サッカークラブへの再挑戦を表明[21]。
同年8月にニュージーランドにわたり古巣であるハミルトン・ワンダラーズと再契約を結ぶ。不慮の事故を乗り越えて約3年ぶりにサッカー選手としての完全復活を果たす。復帰戦ではチーム一の走行距離を記録し、堂々のフル出場デビューを果たした[22]。
2024年、ソロモン諸島・Sリーグに所属するソロモン・ウォーリアーズと契約。 OFCチャンピオンズリーグにキャプテンとして出場し、国際大会の舞台に再び立った[23]。 後の帰国後のインタビューで、視覚障害があることはクラブの誰一人に打ち明けてなかった[24]。
2025年、J3に加盟した高知ユナイテッドSCに移籍[25]。念願のJリーグクラブ加入となった。 5月11日の「天皇杯」高知県代表の座をかけての高知県予選決勝(対KUFC南国(四国サッカーリーグ))で 後半30分に途中交代で、今シーズン初めて出場。 “視覚障がいがあるJリーガー”として、初めて公式戦のピッチに立った[26]。
人物
2022年3月14日にテレビ朝日の『激レアさんを連れてきた。』に出演[27]。SNSで「神回」と話題になった[28]。
フットサルを始めた理由は、目を怪我してから弱くなってしまった対人プレーや細かな動きを養うためで、完全な転向ではなくサッカーとの両立でプレーをしている[29]。
所属クラブ
サッカー
セレッソ大阪U-15
ガンバ大阪ユース
チェルシーFCコミュニティー
- 2010年
徳島ヴォルティス・セカンド
- 2011年
ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ
- 2012年 - 2013年
ブリスベン・ロアーFC
- 2014年10月 - 2015年6月
オークランド・シティFC
- 2015年10月 - 2018年6月
ホークスベイ・ユナイテッド
- 2018年10月 - 2019年6月
ワイタケレ・ユナイテッド
- 2019年1月 - 同年3月
マランパ・リバイバース(期限付き移籍)
- 2019年1月 - 同年3月
- 2019年8月- 2020年6月
ハミルトン・ワンダラーズ
- 2019年11月 - 2020年1月
ヤンゲン・スポール(期限付き移籍)
- 2019年11月 - 2020年1月
- 2023年8月 - 同年12月
ハミルトン・ワンダラーズ
- 2024年
ソロモン・ウォリアーズ
- 2025年 -
高知ユナイテッドSC
フットサル
- 2022年 - 2023年
デウソン神戸
ロービジョンフットサル
個人成績(サッカー選手時代)
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 徳島S[30] | 26 | 四国 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
2011 | 千葉R[31] | 7 | JFL | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||
2025 | 高知 | 35 | J3 | ||||||||
通算 | 日本 | J3 | |||||||||
日本 | JFL | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||||
日本 | 四国 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||||
通算 | 日本 | J3 | |||||||||
総通算 |
その他の公式戦
- 2025年
- 高知県サッカー選手権大会 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
OFC | OFC CL | クラブW杯 | ||||
2014-15 | オークランド | 21 | 2 | 1 | 0 | 0 |
2017 | レワ | 13 | 2 | 0 | - | |
2019 | マランパ | 8 | 3 | 0 | - | |
ヤンゲン | 16 | - | 1 | 0 | ||
2024 | ソロモンW | 24 | 3 | 0 | - | |
通算 | OFC | 10 | 1 | 1 | 0 |
代表歴
- ロービジョンフットサル日本代表強化指定選手(2023年)
タイトル
クラブ
サッカー選手時代
ガンバ大阪ユース
オークランド・シティFC
- ニュージーランド・フットボールチャンピオンシップ:1回(2014-15)
- OFCプレジデンツカップ:1回(2014年)
- OFCチャンピオンズリーグ:1回(2014-15)
高知ユナイテッドSC
- 高知県サッカー選手権大会:1回(2025年)
ロービジョンフットサル選手時代
CA SOLUA葛飾
- ロービジョンフットサル日本選手権:1回(2023年)
著書
脚注
- ^ “「右SBだったら右目が見えなくてもやれる」失明の危機の只中・松本光平、復帰への挑戦”. REALSPORTS. (2020年7月14日) 2020年7月14日閲覧。
- ^ 二宮寿朗 (2020年8月6日). “片目が見えなくても超ポジティブ。松本光平、「何とかなる」の原点。”. Number Web. p. 1-2. 2025年3月29日閲覧。
- ^ “OFC Champions League 2017 - List Of Players”. Oceania Football Confederation. (2017年3月9日) 2017年3月9日閲覧。
- ^ “2018-19 ISPS HANDA PREMIERSHIP SQUADS”. Waitakere Squads. (2018年10月11日) 2018年10月11日閲覧。
- ^ “3 Waitakere United pleia blong helpem Malampa Revivors”. Vanuatu Football Confederation. (2019年1月19日) 2019年1月19日閲覧。
- ^ “2019-20 ISPS HANDA PREMIERSHIP SQUADS”. Hamilton Squads. (2019年11月2日) 2019年11月2日閲覧。
- ^ “Un milieu offensif japonais rejoint Hienghène Sport”. Hienghene Sport. (2019年11月21日) 2019年11月21日閲覧。
- ^ “失明の危機に立たされても、サッカー選手であることを諦めない。(高村美砂) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “『 失明の危機 』を乗り越えて競技復帰を目指す”. CAMP FIRE. 2020年6月9日閲覧。
- ^ “FC東京フィジカルコーチがリハビリをサポート 「オセアニアのサムライ」松本光平の最新情報”. 宇都宮徹壱ウェブマガジン. 2020年10月9日閲覧。
- ^ “Matsumoto returns to Navy Blues” (英語). Auckland City FC. 2022年3月29日閲覧。
- ^ “オークランド・シティがクラブW杯辞退…FIFA「われわれの権限を超えている」”. ゲキサカ. 2022年3月29日閲覧。
- ^ “オークランドC コロナ禍でクラブW杯参加辞退…開催国王者アルドハイルが“不戦勝”で2回戦から登場へ - スポニチ Sponichi Annex サッカー”. スポニチ. 2021年1月9日閲覧。
- ^ “オークランドが辞退 クラブW杯サッカー:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年3月29日閲覧。
- ^ ““失明危機”から復活の31歳DFに降りかかる新たな試練 新型コロナ影響も「時間もらえた」”. FOOTBALL ZONE. 2021年1月21日閲覧。
- ^ “右目を失明後に“クラブW杯常連チーム”に入団! 松本光平が「ケガはむしろプラスかも」と思うワケ(二宮寿朗)”. Number Web. 2021年3月24日閲覧。
- ^ “新加入選手のお知らせ”. デウソン神戸HP. 2022年5月5日閲覧。
- ^ “突然、キャプテン就任の打診が”. 現代ビジネス. 2022年6月25日閲覧。
- ^ “第17回 ロービジョンフットサル日本選手権 CA SOLUA葛飾が初優勝!”. JFA.jp. 2023年1月11日閲覧。
- ^ “ロービジョンフットサル日本代表強化指定プロフィール掲載”. CA SOLUA. 2023年5月16日閲覧。
- ^ “松本光平選手 退団のお知らせ”. デウソン神戸HP. 2023年3月15日閲覧。
- ^ “不慮の事故による視覚障がいから約3年…松本光平が公式戦でフル出場デビュー! プロサッカー選手として復活果たす”. ゲキサカ. 2023年8月9日閲覧。
- ^ “フットボーラー松本光平 オセアニア挑戦記”. SPOAL. 2024年8月19日閲覧。
- ^ “【前例のないJリーガーを目指す】松本光平 驚愕の海外生活も公開!”. YouTube. 2024年12月9日閲覧。
- ^ 『松本 光平選手 ソロモン・ウォーリアーズより加入のお知らせ』(プレスリリース)高知ユナイテッドSC、2025年1月5日 。2025年1月5日閲覧。
- ^ ““視覚障がいがある”Jリーガーが公式戦デビュー「わずかに見える左目」頼りに絶妙クロスも演出 J3高知・松本光平がサッカー界にもたらした大きな一歩”. yahoo! news. テレビ高知 (2025年5月12日). 2025年5月30日閲覧。
- ^ “滝沢カレン、“理想すぎる男性”との出会いにキュンキュン!「こんな素敵な人会ったことない」”. テレ朝POST. 2022年3月14日閲覧。
- ^ KADOKAWAライフスタイル編集部 [@kadokawa_ls]「一部SNSで「神回!」と話題沸騰の3/14放送【激レアさんを連れてきた。】に出演したのは、フットボーラーの松本光平さん!」2022年3月15日。X(旧Twitter)より2024年1月22日閲覧。
- ^ “「へこんだのは眼球だけ」 片目を失明したプロサッカー選手 フットサルFリーグに参戦 前だけを見て“誰も見たことのない世界”で挑戦続ける”. 関西テレビNEWS. 2022年10月5日閲覧。
- ^ “第90回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 1回戦【12】”. 日本サッカー協会 (2010年). 2025年3月29日閲覧。
- ^ “#35 Kohei Matsumoto”. transfermarkt. 2025年3月29日閲覧。
- ^ “前だけを見る力 失明危機に陥った僕が世界一に挑む理由”. KADOKAWAオフィシャルサイト. 2022年3月29日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 松本光平 - Soccerway.com
- 松本光平 - FootballDatabase.eu
- 松本光平 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 松本光平 - J.League Data Siteによる選手データ
- 所属事務所 ONE CLIP公式プロフィール
- ホークスベイ・ユナイテッド公式サイト プロフィール(英語)
- オークランド・シティFC・公式サイト プロフィール(英語)
- 松本光平オフィシャルブログ - Ameba Blog
- 松本光平 (@kohei.matsumoto_official) - Instagram
- 【公式】松本 光平 | 高知ユナイテッドSCJリーグ
- 松本光平_(サッカー選手)のページへのリンク