松方財政による対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 01:55 UTC 版)
松方は不換紙幣を回収・焼却し、1882年に日本銀行条例を公布して日本銀行を設立する。国内的に余裕があった銀貨に基づいた銀本位制の導入をめざして、「緊縮財政」を実施した。また、これに要する政府資金調達のために、政商への官営模範工場の払い下げ、煙草税や酒造税などの増徴による歳入増加策、軍事費を除く政府予算の縮小等により紙幣発行量を縮小していった。 対策の結果、 明治14年(1881年)度の紙幣発行高1.5億円に対し、本位貨幣(銀)の準備高が0.1億円(準備率8%)だったのに対し、明治18年(1885年)度には、紙幣発行高1.2億円に対し、本位貨幣(銀)準備高は0.45億円(準備率37%)まで回復し、銀本位制導入への基礎が成った。同年には満を持して銀兌換紙幣(日本銀行初の発行紙幣、大黒図案)が発券され、銀本位制が導入された。また日清戦争の賠償金による金準備を元に、明治30年(1897年)には、松方念願の金本位制が導入されることになる。
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