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松尾あつゆき

松尾あつゆきの俳句

かぜ、 子らに火をつけてたばこ一本
すべなし地に置けば子にむらがる蠅
とんぼう、 子を焼く木ひろうてくる
なにもかもなくした手に四枚の爆死証明
はじめて握る手の、放てば戦地へいつてしもう
ほのお、兄をなかによりそうて火になる
炎天 子のいまわの水をさがしにゆく
 

松尾あつゆき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/17 06:54 UTC 版)

松尾 あつゆき(まつお あつゆき、1904年6月16日 - 1983年10月10日)は、長崎県出身の俳人。本名、敦之。

略歴

1904年(明治37年)、長崎県北松浦郡生まれ。長崎高等商業学校(旧制。現・長崎大学)卒業後、英語教師となる[1]。在学中より自由律俳句に傾倒し、24歳のとき「層雲」に入会、荻原井泉水に師事。のち「層雲」同人、1942年層雲賞受賞。[2]。1945年、生地長崎で原爆に遭い、家と妻、四人の子供のうち長男、次男、次女の三人を失う[注釈 1]。11月、重症を生き延びた長女とともに佐世保市に転居、公立学校教員(地方公務員)となり、旧制 佐世保第二中学校の英語教師となる。1948年に再婚、生地を離れ長野県千曲市の高等学校に赴任した[9]

1949年10月、長野県屋代東高等学校の英語教師となる。1951年春、長野県松代高等学校教頭として転出[10]。学校近くの大英寺の土蔵を住まいとした[11]

1956年、長野県原水爆被災者の会初代会長に就く[12][13]。1958年5月の総会を最後に、会長を退いた[14]

1959年が定年(当時は55歳定年)だったが、1961年3月まで松代高校に勤めた後、長崎へ帰った[15]

1972年、教え子の支援をうけ、被曝体験を綴った句集『原爆句抄』を私家版で出版。のち版を替えてたびたび再刊されている。集中の「なにもかもなくした手に四まいの爆死証明」が代表句として知られ、1961年に長崎市下之川橋国道沿いに建立された、12人の俳人による原爆合同句碑にこの句が刻まれている(のち長崎原爆資料館の公園に移設)。1983年10月死去、79歳。1988年には長崎平和公園の「祈りのゾーン」に、「降伏のみことのり妻をやく火いまぞ熾りつ」句碑、および『原爆句抄』から「なにもかも-」の句を含む複数の句を刻んだ句碑が設置されている[16]

句碑

  •  松尾あつゆき原爆句碑

松尾あつゆき原爆句碑は長崎原爆資料館の前にある[17][18]

  •  原爆句碑

長崎原爆資料館の前に設置されている。12人の俳人による原爆合同句碑である[19]

著書

  • 句集『原爆句抄』 私家版 1972年
  • 『原爆句抄』 文化評論出版 1975年[20]
  • 平田周編 『原爆句抄 魂からしみ出る涙』 書肆侃侃房、2015年[21]

参考文献

関連文献

  • 竹村あつお編 『花びらのような命 自由律俳人松尾あつゆき全俳句と長崎被爆体験』 龍鳳書房、2008年
  • 平田周編 『松尾あつゆき日記 原爆俳句、彷徨う魂の軌跡』 長崎新聞社、2012年
  • 小崎侃 『慟哭―松尾あつゆき「原爆句抄」木版画集』、長崎文献社、2015年
  • 平田周 『このかなしき空は底ぬけの青』 書肆侃侃房、2015年
  • 奈華よしこ『子らと妻を骨にして 原爆でうばわれた幸せな家族の記憶』書肆侃侃房、2017年 (漫画)ISBN 978-4-86385-272-3
  • 句集長崎刊行委員会 編 句集『長崎』、平和教育研究集会事務局、1955年[22][23]
  • 「長崎の証言」刊行委員会編著、『長崎の証言 第5集』 「長崎の証言」刊行委員会、 1973年 [24]

脚注

注釈

  1. ^ 住まいは長崎市内にある八幡神社[3]近く、城山町一丁目(現 若草町)にあった[4]。爆心地点から約700mの距離だった[5]。今は駐車場となっている。近くの民家敷地内(長崎市若草町)には、「被爆柿の木」(爆心地点から約900m)が現存されている[6][7][8]

出典

  1. ^ 平田周編『原爆句抄』著者略歴。
  2. ^ 日野百草「戦前の自由律における社会性俳句」(『橋本夢道の獄中句・獄中日記』殿岡駿星編著 勝どき書房 2017年)292頁。
  3. ^ Google Maps – 八幡神社 (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc. 2024年11月16日閲覧
  4. ^ 布袋 厚 2020, pp. 054–055.
  5. ^ 上野啓祐 2024, p. 23.
  6. ^ 時の蘇生・柿の木プロジェクト Q & A
  7. ^ Google Maps – 被爆樹木カキ (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc. 2024年11月17日閲覧
  8. ^ 長崎新聞 ピースサイト関連企画被爆樹とともに 記憶伝えた64年 3 2009-07-24
  9. ^ 上野啓祐 2024, pp. 63–66.
  10. ^ 上野啓祐 2024, p. 58.
  11. ^ 上野啓祐 2024, pp. 72–73.
  12. ^ 上野啓祐 2024, p. 86.
  13. ^ 「被災者の会」は広島、長崎、愛媛に次いで全国4番目だった。1956年2月5日発足。
  14. ^ ヒロシマ遺文 20長野県 「年表:長野のヒバクシャ」 2022-03-26 「松尾敦之」と表記されている。
  15. ^ 上野啓祐 2024, pp. 87–88.
  16. ^ 上野啓祐 2024, p. 87.
  17. ^ 原爆で妻子を失ったお父さんの気持ちに触れてみよう~松尾あつゆき句碑より
  18. ^ Google Maps – 松尾あつゆき 原爆句碑 (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc. 2024年11月17日閲覧
  19. ^ 設置者 長崎県俳句協会 原爆句碑 1961年8月建立、1988年6月20日移転。
  20. ^ 1975年は被爆30年にあたる。1972年初版版以降の20句を追加して出版。
  21. ^ 2015年は被爆70年である。これを機に復刊。松尾あつゆきの孫である平田周が編集を行った。
  22. ^ 原爆十周年忌平和祈念句集。725人による2200句を収めている。4部構成のうち第2部「被爆時の長崎」に松尾あつゆきの33句を掲載。
  23. ^ 上野啓祐 2024, pp. 179–181.
  24. ^ この中に、松尾あつゆきの娘、平田みち子による「わが子よ孫よこの悲しみを語りつげ」が掲載されている。

外部リンク




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