東水引村とは? わかりやすく解説

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東水引村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/03 14:47 UTC 版)

ひがしみずひきむら
東水引村
廃止日 1929年5月20日
廃止理由 新設合併
隈之城村平佐村東水引村川内町
現在の自治体 薩摩川内市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
薩摩郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 9,659
(『川内市史 下巻 別表』、1926年
隣接自治体 薩摩郡平佐村西水引村高江村隈之城村下東郷村高城村
東水引村役場
所在地 鹿児島県薩摩郡東水引村大字宮内字川畑
座標 北緯31度49分27秒 東経130度18分01秒 / 北緯31.82403度 東経130.30017度 / 31.82403; 130.30017座標: 北緯31度49分27秒 東経130度18分01秒 / 北緯31.82403度 東経130.30017度 / 31.82403; 130.30017
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東水引村(ひがしみずひきむら)は鹿児島県の北西部、薩摩郡に属していた

1891年(明治24年)に水引村を解体分割し設置され、1929年(昭和4年)5月20日隈之城村平佐村と合併し、川内町(1940年に市制施行し川内市)となり、自治体としては消滅した。

概要

川内平野の西部、川内川の北岸に位置している。村の西端には上川内駅が設置された。

東水引村は大小路、宮内、五代の3大字から構成されており[1]、現在の薩摩川内市大小路町宮内町五代町国分寺町御陵下町大王町若葉町上川内町花木町の全域、東大小路町原田町の一部にあたる。村役場は大字宮内字川畑に置かれていた。

沿革

前史

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、網津村、草道村、小倉村、五代村、宮内村、大小路村が合併し、高城郡水引村が成立。

東水引村設置以後

  • 1891年(明治24年)8月8日 - 水引村が解体分割され、大字大小路、宮内、五代の区域より東水引村が設置された[2]
  • 1887年(明治20年) - 高城郡が薩摩郡に合併。
  • 1929年(昭和4年)5月20日 - 東水引村が隈之城村平佐村と合併し川内町となる。

行政

  • 村長:

歴代村長

町村制施行以降の村長を記載する。『川内市史 下』170頁の表記に基づく。但し、旧字体については新字体に置換えるものとする。

氏名 就任期間
初代村長 緒方 維則 1891年 - 1895年
二代村長 塚元 淳一 1895年 - 1896年
三代村長 小田原 秀大 1897年 - 1898年
四代村長 村尾 重一 1898年 - 1901年
五代村長 塚元 淳一 1901年 - 1913年
六代村長 高木 正七 1913年 - 1919年
七代村長 山本 精一 1919年 - 1923年
八代村長 浜田 豊吉 1923年 - 1929年

人口

以下の人口遷移表は『川内市史 下』の別表の記述に基づく。

凡例
人口(人)
1912年 7,035
1922年 8,139
1926年 9,659

教育

交通

鉄道

河川

脚注

  1. ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.538
  2. ^ 鹿児島県告示第115号 https://dl.ndl.go.jp/pid/1087308/1/357

関連項目




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