東奥信金の離脱・1県1信金構想の事実上崩壊
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2009年3月30日、東奥信金側では総代約140人のうちの7割が臨時総代会の開催要求を経営側に提出し、同年4月20日に同会を開催することが決まった。総代の一部には合併に反対する論があり、総代側からは、事実上の吸収合併であること・本店が八戸市に置かれることに対してのサービスの低下・融資基準の改変・合併後の総代数の問題などを不安視する意見も出ていた。このため、2009年4月17日に予定されていた新信金名の名称の決定については先送りされた。 そして東奥信金の臨時総代会当日、全総代の9割近くが合併反対を支持。これによって、東奥信金は1県1信金構想から離脱することとなり、単独での生き残りを目指すこととなった。 東奥信金が合併から離脱したことによって、八戸信金の小野理事長が目指していた1県1信金構想は事実上崩壊した。小野は、離脱した東奥を除いた残りの3信金での合併を目指す方針を打ち出してはいたものの、この件は後の合併協議にも影響を与えた。
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