東北の文献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)
「義経=ジンギスカン説」の記事における「東北の文献」の解説
『岩手県姓氏歴史人物大辞典』には、「奥州藤原氏系の中野氏は、祖先は藤原秀衡の三男藤原忠衡の子孫が北海道に居住」と書かれている。つまり姓氏に関する限り、忠衡に近い血脈の人物が蝦夷に逃れた事が書かれている。また、『中尊寺建立供養願文』には、1105年、初代藤原清衡によって建立された中尊寺の当時の事を書いた物の中に、「粛慎、挹婁の海蛮は、陽に向かう葵(向日葵)の類」と、当時の奥州藤原氏と大陸系の他民族である粛慎、挹婁がかなり親しく、しかも藤原氏に従順だったのではないかと思わせる記述がある。
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