東京都職員時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 10:24 UTC 版)
就職先がなくぶらぶらしたあと1956年に臨時職員採用で東京都勤務、翌年採用試験で任用されて多摩動物公園の建設要員として8年間現地滞在員。丸の内では建設局・港湾局・都市計画局(海上公園計画・代々木公園計画・八王子霊園計画、沖縄東京の塔・花博―花の江戸東京館館長などから公園緑地部長までを歴任。 外部活動として『ジャパンランドスケープ』の編集委員も務めていたほか、池原謙一郎の作品にエンジニアとして協力、東京都主催代々木公園設計者選定コンペティションでは池原のほか建築家の石井尚や、小林治人、グラフィックデザイナーの早川和也らのチームで、自身は事務局側でもあったが取り組んでいる。以降池原の筑波大時代にも代理で講義を担当。またこの間、1956年から2001年まで日本造園学会会員(以降は名誉会員)、1981年から1985年まで日本造園学会企画担当常務理事、1988年から1993年まで関東支部支部長。
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