村田保定とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 村田保定の意味・解説 

村田保定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/13 23:33 UTC 版)

村田保定

村田 保定(むらた やすさだ、1897年明治30年)6月29日[1] - 1976年昭和51年)11月6日[1][2])は、大正昭和期弁護士政治家華族貴族院男爵議員。旧姓・安場、旧名・道俊[1]

経歴

実業家安場末喜の三男として生まれる。1921年(大正10年)3月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業した[2][3][4]。同年、明治銀行に入行し、日本勧業銀行に転じ同青森支店主事、同本店支店課勤務を務めた[2][3]。妻子を伴い、男爵・村田綱太郎(村田経芳長男)の死跡を相続し[1][3][5][6]1929年(昭和4年)4月15日、男爵を襲爵した[1][3][7]。その後、第一弁護士会所属弁護士となった[2][3]

1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[8][9]公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した[2]。その他、司法省委員を務めた[2]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 下巻』716-717頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』86頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』ム33頁。
  4. ^ 「安場保定」『京都帝国大学一覧 自大正9年 至大正11年』京都帝国大学、1921年、367頁。
  5. ^ 安場保健『人事興信録 10版(昭和9年) 下卷』
  6. ^ 村田保定『人事興信録 10版(昭和9年) 下卷』
  7. ^ 『官報』第686号、昭和4年4月16日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、48頁。
  9. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。
  10. ^ 小笠原英雄『人事興信録 10版(昭和9年) 上卷』

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
村田綱太郎
男爵
村田(経芳)家第3代
1929年 - 1947年
次代
華族制度廃止



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「村田保定」の関連用語

村田保定のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



村田保定のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの村田保定 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS