村井勝 (陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

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村井勝 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 14:22 UTC 版)

村井 勝
生誕 1883年12月24日
日本 山口県
死没 (1968-10-23) 1968年10月23日(84歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1904年 - 1936年
最終階級 陸軍中将
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村井 勝(むらい まさる、1883年明治16年)12月24日[1] - 1968年昭和43年)10月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

1883年(明治16年)に山口県で生まれた[1]陸軍士官学校第15期[1]陸軍砲工学校高等科第15期(優等)[2]東京帝国大学機械工学科卒業[2]1923年(大正12年)4月に陸軍造兵廠名古屋工廠千種機器製造所長に就任し[2]1925年(大正14年)12月に陸軍砲兵大佐に進級した[2]1928年(昭和3年)8月に陸軍造兵廠技術部長に転じ[2]1930年(昭和5年)6月に陸軍技術本部仏国駐在官に就任した[2]

1931年(昭和6年)8月1日に陸軍少将進級と同時に陸軍技術本部部員に就任し[1][2]1932年(昭和7年)4月に陸軍砲工学校砲兵科長を経て[1]1934年(昭和9年)8月に陸軍技術本部第3部長に就任した[1]1935年(昭和10年)8月1日に陸軍中将進級と同時に陸軍造兵廠小倉工廠長に就任し[1][2]1936年(昭和11年)8月1日に待命[1]8月28日予備役に編入された[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 715頁.
  2. ^ a b c d e f g h 外山 1981, 198頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 



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