村上智彦医師への糾弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 01:32 UTC 版)
夕張では、2009年、首吊りを図って心肺停止状態となった男子中学生が夕張市立診療所に救急搬送されたところ、理事長の村上智彦医師に受け入れを拒まれ、死亡に至った事件が発生。このとき本田は夕張市立診療所を糾弾する記事を書いた後、2009年10月04日、『村上医師は自らの「判断ミス」を認め、「ご遺族と市民の皆さんに申し訳ない」と謝罪、「こういうことは2度と起こさない」と述べた』という記事を書いた。 これに対して、村上医師は「夕張の朝日新聞の記者が「そう言わないとお前は出ていくことになるぞ!」等と何度も電話をかけてきて無理やり記事にした」、「私自身は「若い方なのでヘリを呼んででも高度な医療ができる施設に搬送すべきだ」と判断して、後方病院への搬送を指示したのが実際のところ」「朝日新聞の記者は「自作自演」のような記事を書き、医療機関を非難してセンセーショナルに記事を書くことを自慢して歩いています」 と反論している。
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