村上信清とは? わかりやすく解説

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村上信清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/20 11:18 UTC 版)

 
村上 信清
時代 戦国時代後期 - 江戸時代初期
生誕 天文17年(1548年[1]
死没 寛永3年4月11日1626年5月6日[1]
別名 左衛門[2]
戒名 双弘[1]
墓所 東光院[1]
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康秀忠家光
氏族 信濃村上氏
父母 父:村上成清[2]
兄弟 信清、勝行遠[1]
川勝重氏の妻、清政、川勝重氏の後妻、石巻康元の妻、男子[1]
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村上 信清(むらかみ のぶきよ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。

経歴

系譜によれば信濃村上氏の一族。祖父の代より上総国久留里城に住んで古河公方小弓公方に属し、小弓公方滅亡後は里見氏に従ったという[2]天文23年(1554年後北条氏の攻撃で父・成清が敗死する。この時、真勝寺の清心法印がまだ幼い信清・行遠兄弟を助けて城を落ち延び、兄弟は安房国に走った[2][3]

後年上総に帰り、天正18年(1590年小田原征伐の陣中で徳川家康に仕官、上総国内に300石を知行する。当初は井伊直政に属した。弟の行遠が家老を務めていた縁で里見義康への使者を務め、功があった[2]慶長5年(1600年関ヶ原の戦いののち、武蔵国橘樹郡長尾上作延下作延に200石を加増[1][4]寛永3年(1626年)77歳で死去[1]

脚注

出典

参考文献




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