川勝広恒とは? わかりやすく解説

川勝広恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 20:47 UTC 版)

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川勝広恒
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 延宝6年7月2日1678年8月18日
別名 藤兵衛(通称
戒名 了慶(法名)
墓所 東京都港区赤坂の法安寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家光徳川綱重
後に甲斐国甲府藩
氏族 川勝氏
父母 父:川勝重氏、母:村上信清の長女
兄弟 長氏広恒隆房
隆尚、女子(牛込重忝室)、
女子(美濃部茂命室)、
女子(福嶋左衛門大夫家臣森種貫室)
正室:佐脇安雅の娘
広能、広頼、女子(三浦某室)、
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川勝 広恒(かわかつ ひろつね)は、江戸時代前期の旗本。後に甲府藩士。広恒流川勝家の初代当主。

生涯

川勝重氏の二男として江戸に生まれた。正保4年(1647年)12月25日、召されて将軍徳川家光に仕え、小十人に列した。後に、蔵米を給わり、旗本家を興した。家紋は五七桐、釘抜。通し字は「」。

慶安元年(1648年)6月14日、新番に転じ、150俵を加えられた。慶安4年(1651年)9月29日、徳川綱重甲斐国甲府藩主)に配属されて甲府藩臣となり、同藩目付役となった。加増あって550俵の禄高となり、甲府城番を務めた。

延宝6年(1678年)7月2日に没した。年齢不詳。家督は嫡男の広能が継いだ。広能が甲府藩主徳川家宣の将軍就任に伴い幕臣となり、広恒流川勝家は旗本家として継続した。

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
先代:
重氏
川勝知氏系広恒流
初代:1647年 - 1678年
次代:
広能




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