金森可英とは? わかりやすく解説

金森可英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 05:14 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

金森 可英(かなもり ありてる、享保元年(1716年) - 安永3年3月5日1774年4月15日))は、江戸時代旗本交代寄合飛騨高山藩主金森家の、藩内分家の金森左京家第4代当主。左京亮。権九郎。金森可沢の次男で、金森近供の養子となり左京家を継いだ。左京家の祖は、第2代藩主・金森可重の五男金森重勝

郡上一揆により、本家の美濃郡上藩主・金森頼錦改易となった。藩内分知の左京家も同時に取潰しとなる可能性があったが、宝暦8年(1758年)12月に郡上藩内より、知行3千石のまま越前国南条郡、今立郡[1]に領地を移された。同地の白崎(越前市)に陣屋を設置し、江戸屋敷を三田魚籃下に拝領した。金森氏の名跡は左京家が継承することとなり、交代寄合表御礼衆の幕府旗本として幕末まで存続し、現在に至る。

子女に長男可威(病弱で嗣子とならず)、土方行忠室、次男近忠(左京家を継ぐ)、三男重敬、四男滝川一通(滝川一名養子)、他に女子1名、養女に関政富の娘(のちに父の元に帰る)、金森頼錦の娘(井上正相室)。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 南条郡白崎、清水、牧谷の3村、今立郡上大坪、萱谷、大手、西尾(幕府領と割郷)4村




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金森可英」の関連用語

金森可英のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金森可英のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金森可英 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS