川勝広土とは? わかりやすく解説

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川勝広土

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 21:17 UTC 版)

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川勝広土
時代 江戸時代中期 - 江戸時代後期
生誕 安永元年(1772年
死没 不明
別名 勘九郎(通称)
墓所 東京都港区赤坂の法安寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家斉
氏族 川勝氏
父母 父:根岸定用、母:根岸定寧の娘
養父:川勝広峯
兄弟 広土
正室:川勝隆安の娘
広昌
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川勝 広土(かわかつ ひろくに)は、江戸時代中期から後期の旗本。広恒流川勝家の7代当主。『寛政重修諸家譜』編纂時の当主。定紋は五七桐。

生涯

安永元年(1772年)、根岸定用の三男として江戸に生まれ、後に川勝広峯の養子となった。寛政6年(1794年)4月24日、義父広峯の隠居により23歳で家督(武蔵下総常陸内550石)を継ぎ、小普請となった。同年6月13日、初めて将軍徳川家斉に謁見した。

寛政11年(1799年)時点で年齢は28歳、役職は小普請(溝口十番)。屋敷は四谷内藤宿内藤大和守上地内500坪、当分赤坂築地近藤五左衛門方住居。没年不詳。次に家督を継いだ人物については不詳。

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
  • 石井良助監修、小川恭一編著『江戸幕府旗本人名事典(第1巻)』原書房、1989年


先代:
広峯
川勝知氏系広恒流
7代:1794年 - 不詳
次代:
不詳



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