川勝重氏 (勘左衛門)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 川勝重氏 (勘左衛門)の意味・解説 

川勝重氏 (勘左衛門)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 21:09 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
川勝重氏
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 万治3年11月2日1660年12月4日
別名 勘左衛門(通称)
戒名 武榮(法名)
墓所 東京都港区赤坂の法安寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川秀忠家光家綱
氏族 川勝氏
父母 父:川勝知氏、母:某氏
兄弟 重氏
正室:村上信清の長女
継室:村上信清の二女
長氏広恒隆房
隆尚、女子(牛込重忝室)、
女子(美濃部茂命室)、
女子(福嶋大夫家臣森種貫室)
テンプレートを表示

川勝 重氏(かわかつ しげうじ)は、江戸時代前期の旗本。知氏系重氏流川勝家の初代当主。

生涯

川勝知氏の嫡男として丹波に生まれた。慶長19年(1614年)召されて将軍徳川秀忠に仕え、大番に列した。同年、大坂冬の陣に供奉した。後に、蔵米300俵を給わり、旗本家を興した。家紋は桐に鳳凰、釘抜、五七桐。通し字は「」。その後、幕奉行に転じた。

万治3年(1660年)11月2日に没した。年齢不詳。家督は長男の長氏が継いだ。

また、二男の広恒、三男の隆房、四男の隆尚も各々旗本家を興した。川勝広継の二男であった知氏の系統からは、4家の旗本家が出ているが全て川勝重氏(勘左衛門)の息子たちが興した(継いだ)ものである。

参考文献

  • 『寛永諸家系図伝(第14)』続群書類従完成会、1992年
  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年


先代:
(知氏)
川勝知氏系重氏流
初代:1614年 - 1660年
次代:
長氏



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「川勝重氏 (勘左衛門)」の関連用語

川勝重氏 (勘左衛門)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



川勝重氏 (勘左衛門)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの川勝重氏 (勘左衛門) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS