李昌薫_(マラソン選手)とは? わかりやすく解説

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李昌薫 (マラソン選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 15:46 UTC 版)

李 昌薫
選手情報
フルネーム イ・チャンフン
ラテン文字 Lee, Chang-hoon
国籍  大韓民国
種目 長距離走マラソン
生年月日 (1935-03-21) 1935年3月21日
生誕地 日本統治下朝鮮 慶尚北道星州郡船南面
没年月日 2004年1月13日(2004-01-13)(68歳没)
マラソン 2時間24分7秒(1959年)
獲得メダル
陸上競技
アジア競技大会
1958 東京 男子マラソン
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李 昌薫(イ・チャンフン、이창훈1935年3月21日 - 2004年1月13日)は、大韓民国マラソン選手。本貫京山京山李氏朝鮮語版)で、慶尚北道星州郡船南面朝鮮語版出身。

経歴

慶尚北道星州郡の船南東部初等学校(선남동부초등학교)、大邱嶺南中学校朝鮮語版ソウル養正高等学校朝鮮語版中央大学校を卒業した。船南東部初等学校の5年生のとき、マラソンを始めた。孫基禎の教えを受けた養正高等学校1年生のときから、慶尚北道陸上競技長距離走代表として活躍し、特に全国大会で中距離走以上の種目をほぼ席巻した。

1955年6月11日12日ソウル運動場で開催された第16回メルボルンオリンピック派遣マラソン予選戦で2時間48分57秒を記し、2位となった。大韓民国代表として出場した1956年メルボルンオリンピックでは、2時間28分45秒の記録を出して4位となり、東京都で開催された1958年アジア競技大会では、2時間32分55秒の記録を立てて金メダルを獲得した。

1959年9月29日韓国日報大韓陸上競技連盟朝鮮語版の主催で開かれた9・28ソウル修復記念第1回ソウル~仁川間国際マラソン大会(9·28 서울 수복 기념 제1회 서울~인천간 국제 마라톤 대회)で2時間24分7秒の記録を立てて優勝した。当時、彼が立てた記録は男子マラソンの大韓民国新記録となり、1962年10月25日にキム・ヨンボム(김연범)が2時間23分56秒の記録を立てるまで、破られなかった。

1960年ローマオリンピックでは、2時間32分55秒の記録で20位となり、1965年に引退した。1977年から1995年まで大韓陸上競技連盟専務理事、マラソン強化委員長などを歴任し、2004年1月13日に69歳を一期として死去した。夫人は孫基禎の娘である孫文英(ソン・ムンヨン、손문영)であり、ふたりの間に3人の息子たち、李埈碩(イ・ジュンソク、이준석)、李埈承(イ・ジュンスン、이준승)、李埈昊(イ・ジュンホ、이준호)が生まれた。

参考文献




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