李文濱
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李文濱 | |
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『満洲紳士録 第三版』(1940年)
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プロフィール | |
出生: | [旧暦]光緖21年(西暦1894年または1895年)[1][注 1] |
死去: | 不詳(1949年時点では存命) |
出身地: | ![]() |
職業: | 官僚 |
各種表記 | |
繁体字: | 李文濱 |
簡体字: | 李文滨 |
拼音: | Lǐ Wénbīn |
ラテン字: | Li Wen-pin |
和名表記: | り ぶんひん |
発音転記: | リー・ウェンピン(リー・ウェンビン) |
李 文濱(り ぶんひん、光緖21年(西暦1894年または1895年) – 没年不明)は、中華民国の官僚。原名は瀚で、文濱は後の号である[4][注 3]。また、別号に逸六もある[2]。中国国民党の党務畑でキャリアを積み、同郷の陳群の側近と目された。陳に従い、中華民国維新政府や南京国民政府(汪兆銘政権)で要職をつとめている。
事績
1921年(民国10年)2月、中国国民党広東特設弁事処党務科幹事に任命される[1]。その後、福建支部籌備員兼財政科科長、福建全省自治総指揮処上校軍需処長、中央直轄第3軍第1路中校参謀、大本営特派員、福州市貧児教養院院長、福建全省煤油特税局長、福建省党部宣伝部部長、清党委員会委員兼情報処主任、上海私立正始中学事務主任などを歴任した[1][2]。
梁鴻志や陳群による華中での親日政権樹立活動に、李文濱も参与した。1938年(民国27年)3月28日に中華民国維新政府が創設された後、4月9日に李は内政部(部長:陳群)参事に任命されている[5]。翌1939年(民国28年)2月18日、内政部総務司長に任命され[6][7][注 4]、1940年(民国29年)2月15日には同部次長へ昇進した[8]。
同年3月30日、維新政府が南京国民政府(汪兆銘政権)に合流すると、李文濱もこれに加わる。同日、内政部(部長:陳群)常務次長に任命され[9]、翌1941年(民国30年)8月19日、同部政務次長に昇進した[10]。1943年(民国32年)2月28日、国民政府行政院政務委員の廃止に伴い、新たに国民政府政務参賛が設置されると、李が12名の委員の1人に任命されている[11]。同年9月、陳群が江蘇省長に移ると、李もこれに随従し、江蘇省銀行董事長兼行長兼総経理に任命された。翌1944年(民国33年)11月、陳が考試院院長に移ると、李は江蘇省銀行の各職を辞任している[12]。
1945年(民国34年)8月の汪兆銘政権崩壊及び陳群自決後における李文濱の動向は不詳であり、漢奸として摘発されたかどうかも不明である。ただし、国共内戦後も李は大陸に留まっており、後年になって陳群に関する回顧文を公表した[注 5]。
注釈
- ^ 外務省東亜局(1939)、45頁は「1904年」としているが、経歴と合わせた場合に不自然さが少ない満蒙資料協会編(1940)に本記事は従う。
- ^ 劉ほか編(1995)は1282頁の「李文濱」では閩侯県としているが、1295頁の「李瀚」では「長楽県」としている。
- ^ 1940年(民国29年)2月15日の維新政府内政部次長就任から、文濱を公称として使用し始めた。「李瀚」と「李文濱」が同一人物であることは、李文濱自身が認めている。また、劉ほか編(1995)、1282・1295頁は「李瀚」と「李文濱」を別人扱いしているが、誤りである。
- ^ それまで警政司長の鄧祖禹が総務司長を兼任していたが、解除されて警政司長専任となった。
- ^ 李(1993)が該当する。ただし、李本人の実際の執筆時期については判然としない。
出典
- ^ a b c d 満蒙資料協会編(1940)、1592頁。
- ^ a b c 外務省東亜局(1939)、45頁。
- ^ 劉ほか編(1995)、1282頁。
- ^ 李(1993)、168頁。
- ^ 維新政府令、民国28年4月9日(『政府公報』第3号、民国27年4月25日、維新政府行政院印鋳局、2-3頁)。
- ^ 維新政府令、民国28年4月9日(『政府公報』第43号、民国28年4月27日、維新政府行政院印鋳局、2頁。
- ^ 中華民国維新政府行政院宣伝局編(1939)、142-143頁。
- ^ 維新政府令、民国29年2月15日(『政府公報』第94号、民国29年2月19日、維新政府行政院印鋳局、2頁)。
- ^ 国民政府令、民国29年3月30日(『国民政府公報』(南京)第1号、民国29年4月1日、国民政府文官処印刷局、10頁)。
- ^ 「国府次長級異動」『同盟旬報』5巻23号通号150号、昭和16年8月中旬号(30日発行)、同盟通信社、16頁。
- ^ 「各部の新次長発令」『同盟時事月報』7巻1号通号200号、昭和18年2月14日発行、同盟通信社、103頁。
- ^ 李(1993)、174頁。
参考文献
- 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第三版』満蒙資料協会、1940年。
- 『新国民政府人名鑑』外務省東亜局、1940年。
- 中華民国維新政府行政院宣伝局編『維新政府之現況 成立一周年記念』中華民国維新政府行政院宣伝局、1939年。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 李文濱「陳群其人」華東七省市政協文史工作協作会議編『汪偽群奸 禍国紀実』中国文史出版社、1993年。
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