杉本喜久雄とは? わかりやすく解説

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杉本喜久雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/09 14:09 UTC 版)

杉本 喜久雄
基本情報
国籍 日本
出身地 岡山県倉敷市
生年月日 (1942-08-04) 1942年8月4日(82歳)
身長
体重
180 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1961年
初出場 1961年
最終出場 1962年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

杉本 喜久雄(すぎもと きくお、1942年8月4日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手投手)。阪神タイガースに所属した杉本郁久雄は弟。

経歴

岡山県立倉敷工業高等学校では2年生の時、エースとして1959年の甲子園に春夏連続出場[1]春の選抜は1回戦で東邦高に大敗[2]。同年夏の甲子園は、1回戦で石谷訓啓のいた大田高を降す。しかし2回戦で東北高の嶺岸征男(大毎)、波山次郎の継投の前に完封負けを喫した[3]。秋の東京国体は準々決勝で高鍋高を完封。準決勝に進むが平安高藤野隆司に抑えられ敗退。1年上のチームメイトに三宅博がいた。

同年の秋季中国大会準決勝に進むが、米子東高に5-6で惜敗。翌1960年夏の甲子園予選東中国大会でも決勝に進み、米子東高の宮本洋二郎と投げ合うが、またも2-3と惜敗し甲子園出場を逸する。高校同期では一塁手小橋優右翼手の中村邦弘(大毎)がプロ入りしている。

1961年広島カープへ入団[1]。大型左腕と期待され1年目から一軍で起用される。10月17日に初先発、巨人伊藤芳明との投手戦となり6回を1失点に抑えるが勝ち負けはつかなかった。翌1962年は7試合に登板するが、同年限りで引退した[1]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1961 広島 2 1 0 0 0 0 0 -- -- .000 26 6.1 6 1 1 0 0 14 0 0 1 1 1.29 1.11
1962 7 0 0 0 0 0 0 -- -- .000 40 9.1 7 1 5 0 0 3 0 0 4 4 3.60 1.29
通算:2年 9 1 0 0 0 0 0 -- -- .000 66 15.2 13 2 6 0 0 17 0 0 5 5 2.87 1.21

背番号

  • 45 (1961年 - 1962年)

脚注

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、289ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

外部リンク




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