本大会出場校選考について
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「全国高等学校サッカー選手権大会山梨県大会」の記事における「本大会出場校選考について」の解説
第1回から第8回までの日本フットボール優勝大会時代は関西地区の学校のみのため山梨県の学校は参加せず、第9回の全国中等学校蹴球選手権大会より全国規模に拡大を受けて関東中学校蹴球大会に初参加。第18回から第22回までは神奈川県と静岡県の3県で山神静大会として参加している(第23回、第24回は太平洋戦争の影響により中止)。 戦後、第25回は関西地区の学校のみで実施されたため参加しなかったが第26回では中部地域大会に参加したことで復帰し、第31回では山梨県単独による山梨県大会で代表を決め、第32回では静岡県と長野県による甲信静大会、第33回より神奈川県と西関東大会で代表を決めていた。第40回より再び単独による山梨県大会で代表を決めていたが、第45回に現在の大会名に改名された際に本大会の参加数が減少し、選考が高校総体や国民体育大会の成績などを基に選考会により出場校を決定していた。第50回より再び地区予選方式となり神奈川県との西関東大会が復活。第52回には神奈川県が単独となったため長野県との甲信大会が行われていた。 再び山梨県大会による県単独の出場になったのは1975年の第54回からで、この時は本大会に出場できたのは29代表校のみで他府県では地域大会が続いており、県人口が200万人未満で単独代表を輩出していたのは山梨県のみであった(1都道府県1代表制になったのは1983年の第62回大会から)。
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