本多助盈とは? わかりやすく解説

本多助盈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/15 16:12 UTC 版)

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本多 助盈
時代 江戸時代中期
生誕 享保3年(1718年)5月
死没 安永3年2月5日1774年3月16日
別名 左門(通称)、利為(別名)
戒名 仁崇院殿前勢州太守興誉徳山道務大居士
墓所 東京都港区六本木の教善寺
官位 従五位、相模守、豊後守、伊勢
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
信濃飯山藩
氏族 本多氏
父母 父:本多利紀、母:青山幸度の娘
養父:本多助有
正室秋田頼季の娘・蓮光
助之、助佳(三男)、助交(五男)、娘(松平直紹正室)、娘(松平守惇正室)、娘(朽木昌綱継室)、娘(織田信味室)、娘(本多助阜正室)
養子助受

本多 助盈(ほんだ すけみつ)は、信濃飯山藩の第4代藩主。広孝系本多家8代。

生涯

享保3年(1718年)5月、旗本の本多利紀(本多忠利の十男・本多利政の子孫)の長男として生まれる。元文2年(1737年)に飯山藩第3代藩主の本多助有が死去し、実子がなかったため、助有の養子に迎えられて家督を継いだ。12月には従五位下・相模守に叙位・任官する。

藩政では寛保2年(1742年)に大水害により、大被害を受けている。また、大坂加番奏者番を歴任した。安永2年(1773年)頃から病に倒れ、安永3年(1774年)2月5日に死去した。享年57。

嫡子の助之が早世したため、助之の長男・助受を養子に迎えて跡を継がせた。





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