朝鮮戦争勃発前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:36 UTC 版)
「第一共和国 (大韓民国)」の記事における「朝鮮戦争勃発前」の解説
李承晩は韓国民主党(韓民党)の支持を受けて大統領に選出されたが、彼が組閣した内閣には韓民党党員は財務部(現、大韓民国企画財政部)長官に任命された金度演を除いて選出されなかった。その報復として、野党に転じた韓民党は大韓国民党(国民党)内の反李承晩派と連合して民主国民党(民国党)を形成し、大統領の権限を大幅に規制した内閣制度への改変を支持し始めた。これと同時に、李承晩派も国民党へ再編され、国民党が李の支持基盤となる与党 として確定した。ただし、1950年5月30日に実施された第2代国会議員選挙では、反李承晩派の無所属議員が議会の過半数を占める結果となった。 反共政策を掲げる国家主義的な李承晩政府は、左翼活動の残忍な鎮圧など、USAMGIK以来の習慣を数多く継続していた。政府は、済州島四・三事件や麗水・順天事件など、左翼勢力の活動を厳しい武力行使で鎮圧し、左翼の封じ込めにおおむね成功した。ただし、それにともない多数の住民が虐殺された他、独自路線をとる一部を除いて、左翼の多くは北朝鮮を支持していたために、北朝鮮との対立を厳しくした。1949年12月24日には聞慶虐殺事件を引き起こし共産主義者による犯行とした。
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