月江寺と富士信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 03:58 UTC 版)
富士山の登拝口として発展した冨士吉田に所在する月江寺は富士信仰との関わりが強く、戦国時代には古吉田森組の地(現富士吉田市下吉田東町)に湧き水が湧いていたことから禊場が作られ、関所と合わせて富士山参詣者の一番札所を置き、吉田口登拝の起点となっていた。 江戸時代には富士講の隆昌と共に一番札所は徐々に衰退したが、新たに登山門が設置され吉田口登拝の起点となった北口本宮境内に、仁王門・鐘楼等を所持するなど富士北麓の有力神社の別当寺となっており、鎮守社としていた冨士山下宮浅間(現在の冨士山下宮小室浅間神社)の祭礼では月江寺僧による諷経が行われ、境内に月江寺僧による祈願所が置かれた。 一番札所を始め、富士山吉田口登山道の要所に札所を構え神符を頒布するなど、吉田口の富士信仰に大きな利権を有していた。 月江寺の飛び地「愛染地蔵堂」かつて富士参詣者はこのお堂の前の湧き水で身を清めており、戦国末期には関所が置かれ通行料を徴収していた。 月江寺の愛染地蔵堂と、冨士山下宮小室浅間神社の金刀比羅社。隣接しており、両社寺の関係性がうかがわれる。 富士山最初の関所を示す「関一歩」の石碑と様々な石碑群。
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