暁亭の遊歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 16:48 UTC 版)
暁亭は前述のように20歳の時に京阪へ旅行した他、30歳以降晩年まで、北は青森から西は京都、大正時代には朝鮮、中国にも旅行している。特に東北地方は縁が深い。明治38年(1905年)岩手県盛岡で催された四条派の絵師藤島静邨の画会に特別参加し、当地に長逗留したため、盛岡には多くの作品が残っているという。青森県五所川原市の太宰治記念館 「斜陽館」には来歴不明の「四季図襖絵」8面が所蔵され、福島県河沼郡柳津町の円蔵寺山門にある二枚の龍図天井画も暁亭の筆である。東北地方にはまだ多くの作品が眠っていると見られる。 暁亭も暁斎同様に無類の酒好きであったとみられ、昭和8年に栃木県日光市の金谷旅館に泊まりこみ、輪王寺の襖絵を描いていたが、体調を崩してしまい、翌昭和9年に東京へ戻り、8月11日に食道癌で没した。享年61。なお、暁亭も絵日記をつけていたといわれる。墓所は文京区関口の大泉寺。法名は天徳院真誉暁亭居士。 門人に山本暁邦がいる。
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