景徐周麟とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 宗教家 > 宗教家 > 日本の僧 > 景徐周麟の意味・解説 

景徐周麟

読み方けいじょしゅうりん

室町後期臨済宗の僧。相国寺八十二世五山文学僧。景徐は道号周麟は諱、号に宜竹・半隠等。用堂中材の法を嗣ぐ相国寺鹿苑院に歴住し晩年相国寺慈照院閑居する永正15年1518)寂、79才。

景徐周麟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/07 06:17 UTC 版)

景徐周麟(けいじょしゅうりん、永享12年(1440年)- 永正15年3月2日1518年4月11日))は、室町時代後期の臨済宗の僧。父は大舘持房、母は赤松則友の娘。諱は周麟。道号は景徐。別に宜竹・半隠・対松。

幼い時に京都相国寺の用堂中材に師事して出家し、長じてその法を継いだ。応仁の乱の際には難を避けて近江永源寺に身を寄せていた時期もある。長享元年(1487年)に等持寺に住み、延徳2年(1490年)に遣明使の正使の命を受けたがこれを辞退している。明応4年(1495年)、相国寺に住し、翌5年(1496年)に3代将軍足利義満の檀那塔である鹿苑院に移り、永正5年(1508年)には相国寺に戻った。晩年は相国寺内に慈照院を建てて退隠した。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「景徐周麟」の関連用語

景徐周麟のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



景徐周麟のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの景徐周麟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS