晩年〜没後
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1938年(昭和13年)2月、藤山は例年の行事である伊勢神宮参拝のために小樽を発った。その旅行中に風邪を患い、治療のために東京に立ち寄った後、旅行を切り上げて帰郷し、療養に努めた。しかし老齢には勝てず、病状は回復には至らなかった。同年10月12日に小樽の本宅で死去、満87歳没。 多くの人々が藤山の死を悼み、各界から葬儀に参列した人々の数は1万人、贈花や放鳥は千以上、弔電は千通、弔辞は300通以上に昇った。小樽始まって以来、これほど盛んな葬儀はないと後に語り伝えられた。 没後は地方産業功労者に列せられ、従六位の特旨叙位が贈られた。1958年(昭和33年)6月、小樽市と、藤山の徳を慕う多くの有志たちにより、小樽公園内の公会堂寄贈ゆかりの地に、藤山の銅像が建立された。
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