春の桜花と秋の宮人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 09:31 UTC 版)
あるとき、後醍醐天皇が紫宸殿で桜(左近の桜)を鑑賞していた。ちょうどそのとき、殿上人で中宮職の職員である者が、禧子の命令で皇后宮からやってきて、桜の枝を一つ折るところを見てしまった。不審に思った後醍醐は、禧子を召し出して直に理由を聞いた。 南殿の花御覧せさせ給うける折しも、きさいの宮の御方より殿上さぶらふをのこどもの中に、宮つかさなるして一枝おらせられけるを、御前にめして仰事ありける九重の 雲ゐの春の 桜花 秋の宮人 いかでおるらむ(大意:九重(内裏)の雲井(宮中)で、九重の雲井(大きな雲の立つ大空)に向かって高く咲く春の桜花を、秋の宮人(皇后宮に仕える人)が、どうして折ったのだろうか) —後醍醐院御製、『新千載和歌集』春下・116 御返したをらすは 秋の宮人 いかでかは 雲ゐの春の 花をみるべき(大意:手折らせたのは、秋の宮(皇后)である私が、宮中の春の桜のように愛しいあなたに、どうしても逢いたかったからですよ) —後京極院、『新千載和歌集』春下・117
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