明朝時代 1368年 - 1644年
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「香港の歴史」の記事における「明朝時代 1368年 - 1644年」の解説
1563年(嘉靖42年)、明朝は香港地区南端に水軍(南頭寨)を設置、1565年(嘉靖44年)には参将を置いて南頭寨を統括させた。南頭寨には大小戦船53隻、官兵1,486人が置かれ、1591年(万暦19年)以後は戦船112隻、官兵及雜役2,008人に増員している。1552年(嘉靖31年)頃からは「九龍」の地名が史料に登場し、その後「香港島」の地名も散見されるようになった。1573年(万暦元年)には中国新安県が新設され、県治は南頭に置かれた。設置時の新安県の人口は約34,000人と記録されている。 1517年(正徳12年)にはポルトガル人が来航、屯門島を占拠する事件が発生、明朝は1522年(嘉靖元年)に広東海道副使・汪鋐を派遣しポルトガル人を駆逐している。その後、ポルトガル人は寧波沖のリャンポー(双嶼)に移り、やがてマカオに拠点を移している。
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