旧菅生村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 13:57 UTC 版)
旧橘樹郡菅生村(すがおむら)は、1875年(明治8年)に下菅生村(しもすがおむら)と天真寺新田村(てんしんじしんでんむら)が合併して成立した。 中世には「菅生郷」と呼ばれていたが、江戸時代までに分かれたものと推定されている。また、「菅生」は文字どおり菅が生える土地という意味で呼ばれたものと考えられている。なお、上菅生村は1875年(明治8年)に五反田村と合併し生田村となっている。 旧菅生村内には次の字名がある。 滝沢(たきざわ) 初山(はつやま) 中村(なかむら) 柳町(やなぎまち) 長沢(ながさわ) 鷲ヶ峰(わしがみね) - 旧天真寺新田村の小名「鷲ノ峰」を引き継いだもの。これは仏教の「霊鷲山」(りょうじゅせん、釈迦が法華経を説いた聖地)にちなむものである。 潮見台(しおみだい) 水沢(みずさわ) 清水(しみず) 枝谷(えだやと)
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