旧曾木発電所遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 14:07 UTC 版)
曽木の滝より下流1.5キロメートルの所には「旧曽木発電所遺構」がある。これは1909年(明治42年)、日窒コンツェルンの創始者である野口遵(のぐち・したがう)が水俣市の化学工場に電力を送電するために建設した水力発電所の遺構で、鹿児島県唯一の明治期建造煉瓦建築物と言われている。戦後はチッソ水俣工場へ送電を行っていたが1965年の鶴田ダム完成により水没した。この遺構は国の登録有形文化財に登録、また近代化産業遺産に認定されており2004年(平成16年)には補修工事も行われている。毎年4月頃より姿を見せ始め、ダムが洪水調節のために水位を下げている9月まではその姿を見せるが冬季には完全に水没する。最も完全な姿を見せるのは6月である。この遺構は曽木の滝からダム方面へ進むと展望台があるため、そこから全容を見渡すことができる。この展望台もダムの周辺整備事業の一環として建設されている。
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