日本航空国内線の主力機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 08:34 UTC 版)
「ダグラス DC-4」の記事における「日本航空国内線の主力機」の解説
第二次世界大戦で敗北した日本は、連合国より軍民問わず航空機を運用することを禁止されていた。1951年になり、ようやく日本航空株式会社(旧会社)による民間航空路による定期路線が就航した。しかし実際には日本航空は営業面だけを日本側が担当し、実際の定期路線運航はノースウエスト航空が操縦士付きで担当した。このときに使われた6機のうちの1機がDC-4であった。このDC-4型機(機体記号N88844)は「てんおう星」号と名づけられ、同年11月2日より東京 - 札幌(千歳空港)線に就航した。 当時DC-4の生産はすでに終了していたが、他の5機のマーチン2-0-2に比べて信頼性が高かったため、1952年10月25日からの自主運航開始後も買い増しを進め、最終的に6機を購入した(前述の「てんおう星」号も買い取り、JA6005「十勝」号となった)。こうして、DC-4は国内線の主力機として黎明期の日本航空を支えた。また、当時アメリカの統治下にあった沖縄への国際線機材としても運航されていた他、東京 - サンフランシスコ間にトランスオーシャン航空からチャーターされた機材が貨物専用機として導入されていた。各機体には山の名前が愛称としてつけられた。
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