日本未来の党へ合流のため解党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 17:53 UTC 版)
「国民の生活が第一」の記事における「日本未来の党へ合流のため解党」の解説
解散後の11月27日、当時滋賀県知事を務めていた嘉田由紀子が「卒原発」「脱増税」の政策を掲げる日本未来の党を結成した。同日、小沢も脱原発勢力の結集を目指してこれに合流することを決意、国民の生活が第一は日本未来の党へ合流した。なお党そのものは総選挙後まで存続しており、12月10日には党代表が小沢一郎から主濱了へと交代した。 国民の生活が第一に残っていた石田三示が総選挙に立候補せず、前議員の資格を失ったため、第46回衆議院議員総選挙終了後の12月16日に政治資金規正法に基づく政党でなくなり、解党した。12月18日には政治資金団体の国民生活会議が「政治資金規正法に基づく政治資金団体になるべき団体としての指定の取消しの届出」を提出している。党に残っていた主浜ら参議院議員4人は日本未来の党に合流した。 その後、日本未来の党は小沢派と代表の嘉田との間で考え方の違いが生じ、嘉田側が同党を離党。代表も国民の生活が第一に所属していた森裕子に交代して「生活の党」へと党名変更した。その後、生活の党は「生活の党と山本太郎となかまたち」→自由党への改組を経て、2019年に国民民主党に合流した。(但し、小沢と同じく共同代表だった山本太郎は国民民主党には加わらず、れいわ新選組を結成した。)
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