日本への編入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 02:43 UTC 版)
日本政府は1885年(明治18年)より尖閣諸島の島々について領有権の調査を開始。清の領有権が及んでいないことなどが確認できたため、1895年(明治28年)1月14日に現地に標杭を建設することなどを閣議決定し、日本領に編入した。1896年(明治29年)に八重山郡に編入され、1903年(明治36年)に登野城村の一部とされて地番が付された。1908年(明治41年)の島嶼町村制の施行に伴い八重山郡に発足した八重山村の字「登野城」に属することなり、登野城は1914年(大正3年)に八重山村が分割され石垣村の一部となった。
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