日向の石井氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 09:43 UTC 版)
宮崎市(旧・佐土原町) 佐土原藩士に石井家あり。義高の末弟義次は垂水城陥落後、伊地知氏の家臣になり、波須和義次と称していた。伊地知氏が天正2年(1574年)島津氏に降伏したことにより、一時的に浪人となったが、慶長4年(1599年)垂水領主となった島津以久に召抱えられた。その後、以久は、慶長8年(1603年)徳川家康の命で、日向国佐土原藩3万石の領主となったことから、義次も佐土原に御供し移住したものである。佐土原分限帳に小姓頭石井として見えて居る。西南戦争時、佐土原隊四番小隊小隊長に石井平三がいた。佐土原石井家第12代当主石井隼太は陸軍の軍人で、米国視察の後、フランス・イタリアへの留学を経て、日露戦争時は野砲兵第10連隊長で陸軍大佐。大正元年(1912年)陸軍中将になった。
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