新都建設の時期と場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 21:39 UTC 版)
北畠親房が幼帝後村上天皇を補佐して、新宮殿建設中は三河多賀の里(蒲郡市相良町)を行宮とし、完成後は御津府御所(御津町御馬長床、御津町下佐脇御所)に居住した。この三河多賀の里行在中の興国3年(1342年)8月13日に寛成親王が天皇山明澄院(現・豊川市御油町西沢の御油神社)で降誕し、皇子降誕を記念して行宮近くに丹野(蒲郡市相良町)の地名が付けられた。以上の経緯から新都建設は、どんなに遅くとも興国2年(1341年)の秋には開始されたとされる。
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