新約聖書のエリヤ
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イエス・キリストの変容の際、エリヤはモーセと並んでイエスの傍にあったものとして書かれていることにも、その位置づけの大きさが伺われる。エリヤの死が聖書に記載されていないことから、1世紀当時、エリヤが再来するとの伝承があったことが、新約聖書などから知られる。洗礼者ヨハネもイエス・キリストも、一部からはエリヤの再来とみなされたようである。これはメシア預言と複合して、来るべき救世主の再来を告げるものとされた。福音書は洗礼者ヨハネをこれに比定して書かれている。 十字架上のキリストの最後の7つの言葉のうち第四の言葉が、見物人にはエリヤを呼んでいると誤解された言葉として残る。 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。 — マタイによる福音書第27章第46節-第54節 そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。 — マルコによる福音書第15章第34節-第39節
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