新潟市立岡方中学校
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新潟市立岡方中学校 | |
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北緯37度53分13秒 東経139度10分05秒 / 北緯37.887056度 東経139.168度座標: 北緯37度53分13秒 東経139度10分05秒 / 北緯37.887056度 東経139.168度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | ![]() |
設立年月日 | 1947年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | C115210000047 |
中学校コード | 150143 |
所在地 | 〒950-3365 新潟県新潟市北区太子堂104 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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新潟市立岡方中学校(にいがたしりつ おかがたちゅうがっこう)は、新潟県新潟市北区太子堂に所在する市立中学校。令和8年度末をもって閉校となることが決定した。(後述)
概要
校舎の周りは田園風景に囲まれておりのどかで穏やか。ただ、田園だけではなく、工場や福祉施設等もある。
- 教育目標
- 自主
- 協和
- 気力
- 創造
- 制服
- 男子:詰襟
- 女子:ブレザー
沿革
経緯
6・3制導入により戦後の混乱の中で設立され、小学校2校の校舎を「第一校舎」「第二校舎」として間借りする形で開校[1]。後に独立校舎が建設されたが、その位置をめぐっては大きな論争となった[2][3]。
年表
- 1947年5月15日 - 岡方村立岡方中学校として開校。岡方第一小学校と岡方第二小学校に校舎を分設。
- 1952年4月12日 - 独立校舎竣工。分設していた校舎より統合独立する。
- 1955年3月30日 - 豊栄町発足に伴い豊栄町立岡方中学校と改称。
- 1970年11月1日 - 市制施行に伴い豊栄市立岡方中学校と改称。
- 1997年7月10日 - 現校舎竣工。
- 2005年3月21日 - 新潟市へ編入合併に伴い新潟市立岡方中学校と改称。
部活動
運動部
- 野球部
- バレーボール部(休止中)
- 卓球部(男子・女子)
文化部
- 総合文化部
通学区域
新潟市北区の岡方地区を主な通学区域とし、岡方第一小学校・岡方第二小学校からの進学を受ける。詳細は#外部リンクを参照。
交通
著名な出身者
光晴中学校との合併による閉校
平成23年度北区議会で、区内小中学校の小規模校と大規模校の合併による生徒・学級数の再編案が議論された。北区には8校の中学校があるが、岡方中学校はこの中で生徒数が最も少ない。学級数でも50年前の約3分の1、20年前の半分にまで減少しており、中学校間の距離が至近(約5.6km)の光晴中学校[5]との合併により適正規模校(同案での表現)とする計画が挙がった。
岡方地区コミュニティ委員会は中学校区内の、生徒の保護者以外も含む全戸にアンケートを行い、大きく「現状のまま継続する」「光晴中と合併する」の2案で検討を重ねていたが、令和6年中に合併案が採決された。併せて、傘下の岡方第一・第二小学校も葛塚小学校に合併されることも決定した。
至近のケースである豊栄南小学校が、同じく葛塚小学校に合併され閉校となる際には2年間の準備期間がとられたが、今回は2小学校・1中学校が一度に閉校となるため、通常より長い3年間の準備期間が設けられ、令和8年度末での閉校となった。
なお、岡方中学校の廃校または他校との合併は、旧豊栄市時代から何度となく議題に挙がっていた。やはり当時からの生徒数の少なさが原因である。
脚注
- ^ “豊栄広報 第92号 pp.4-5”. 豊栄町 (1968年1月29日). 2018年12月1日閲覧。
- ^ “豊栄広報 第93号 pp.4-5”. 豊栄町 (1968年2月25日). 2018年12月1日閲覧。
- ^ “豊栄広報 第94号 pp.2-3”. 豊栄町 (1968年3月25日). 2018年12月1日閲覧。
- ^ “広報とよさか 第296号 pp.2-3”. 豊栄市 (1984年12月15日). 2018年12月1日閲覧。
- ^ 距離だけなら江南区の横越中学校のほうが約4.9kmと近いのだが、区が違うため計画段階で除外された。
関連項目
外部リンク
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