新兵の到着と部隊の再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 17:38 UTC 版)
「第28SS義勇擲弾兵師団」の記事における「新兵の到着と部隊の再編」の解説
1942年3月末、自身の軍歴に基づいて大隊を政治色の無い純軍事的な部隊にしようとしたポーリー大尉は、レクシズム党首レオン・デグレルとの対立によって大隊指揮官の座を更迭された。4月1日、彼の後任として第373ワロン歩兵大隊長に就任した将校は、1917年にロシア帝国で始まった十月革命によってベルギーに亡命した元ロシア帝国海軍士官で、グロモヴァヤ=バルカ戦の直前まで第3中隊長を務めていたゲオルゲス・チエーホフ大尉(Hptm. Georges Tchekhoff)であった。 この頃、ベルギー本国のレクシズムの青少年組織「ジュネス・レジオネール」(Jeunesse Legionnaire)から多くの若い新兵が大隊の戦力を元に戻すため、メゼリッツのレーゲンヴルム演習場(Regenwurmlager)で訓練を続けていた。これらの新兵の中には当時17歳の二等兵、ジャック・ルロア(Jacques Leroy)も含まれていた。 1942年5月1日、デグレルは少尉に昇進し、大隊本部の一員となった。5月5日に第373ワロン歩兵大隊はドイツ陸軍第97猟兵師団(97. Jäger-Division)に配属された(この師団とワロン人大隊の関係はコーカサス戦線終了まで続いた)。 1942年6月4日、ジャン・ヴェルメール少尉(Lt. Jean Vermeire)とアンリ・ティッセン少尉(Lt. Henri Thyssen)に引率された新兵たちが前線の第373ワロン歩兵大隊と合流した。これによって大隊はグロモヴァヤ=バルカの戦いで大損害を被った第2中隊の再建に成功し、大隊兵力は850名に回復した。 1942年6月6日、大隊指揮官ゲオルゲス・チエーホフ大尉はメゼリッツの第36補充大隊(Ersatz-Bataillon 36)に転属となった。そのため、後任の新たな大隊指揮官には大隊本部の将校リュシアン・リッペール中尉が就任した。リッペールはレクシズムの支持者ではなかったものの、ベルギー陸軍の有能な現役砲兵将校であり、大隊の将兵の人気も高く、なおかつレオン・デグレルとの関係も良好であった。この時点における第373ワロン歩兵大隊の戦闘序列は次の通り。 第373ワロン歩兵大隊(Wallonische Infanteriebataillon 373)(1942年6月6日) 大隊指揮官 リュシアン・リッペール中尉(Olt. Lucien Lippert) 大隊本部 アルベール・ラッソワ少尉(Lt. Albert Lassois)、レオン・デグレル少尉(Lt. Léon Degrelle)、ジャン・ヴェルメール少尉(Lt. Jean Vermeire) 各種医療部隊、カトリック従軍司祭、ドイツ人連絡将校 第1中隊 ジュール・マチュー少尉(Lt. Jules Mathieu) 第2中隊 ジャン・ヴェルメール少尉(Lt. Jean Vermeire) 第3中隊 ジョルジュ・リュエル少尉(Lt. Georges Ruelle) 第4中隊 カミーユ・ボスキオン少尉(Lt. Camille Bosquion)
※この「新兵の到着と部隊の再編」の解説は、「第28SS義勇擲弾兵師団」の解説の一部です。
「新兵の到着と部隊の再編」を含む「第28SS義勇擲弾兵師団」の記事については、「第28SS義勇擲弾兵師団」の概要を参照ください。
- 新兵の到着と部隊の再編のページへのリンク